ダーティ掃除人ノート

2016年9月13日火曜日

「常識」についての考察

「常識」という言葉に,人びとはどんなイメージをもっているだろう。

じぶんが考えるに,それは常にアップデートが必要な,とらえどころのない概念だ。

時,人,場所場合によっても変わるんではないか。

この辺り,上手に気を利かす人は珍しいような気もするが,よくよく考えてみると,皆それぞれに気を利かせているような節々に思い当たる。

つまり,そのような姿勢を常に保つことが常識の正体なのじゃないかなと思うのだが,面倒くさい場合もまた多いので常識が無いふりをするのも手だ。

中でも面倒くさい代表とは,遥か昔から変わることなく固定されたものの見方や考え・礼儀作法があり(なかなかそんなものはないと思うが),それが当然おれにはあって,残念ながらおまえにはない,これぞ「常識」なんだと威勢よく言う人である。

更新が少ないこのブログではあるが,清掃をしながら何を書こうか考えていることが多い。

今回は,地動説が3,000年も宗教上の理由から表にでず,その間いわゆる「常識」は天動説になっていたのだということを考えていたら,このような内容になってしまった。

結論として,地動説を発見した人物は「常識」が無かったといえるのではないか。

ちょっと本を読んでみれば,ソクラテス然り,なにかの間違いで人々の「常識」を変えるような発見をした場合に,それを公言してはばからなければ,宗教上やその他各種諸々の都合によりやられるというのが大昔からの常識なのだった。

真実を知った場合,とりあえず黙っていることだ,それが「常識」なんである。

おしまい。

2016年7月2日土曜日

夏ですねぇ

汗ばむ季節になってきた。常々ブログに何を書こうか考えている割に,更新はこんな具合になっている。

清掃中,ゴム手袋をしているのだが,今時はゴム手袋ひとつとっても,安くて使い勝手がよい。80円程度で丈夫で薄く,洗えば何度も使える。破れない限り。

なにか違うものの話みたいにも思えるが,あっちは洗って何度も使っちゃいけない。今時,そんな人いないとおもうけども。

注意書きにあるということは,コンドームのリサイクルに熱心な人が,以前はいたのだろう。

この手袋は,清掃用ではなく台所の洗い物用であり,スーパーで買っている。

優れた製品が安い一方でレジのポリ袋は有料になり,昔と比べ,確実に破れやすく粗悪なものになった気がする。

このポリ袋をゴミ集めのとき何枚見かけるだろう。膨大といっていい。ペットボトルもまた膨大に捨ててある。

現在時点では,新聞や段ボール,缶やペットボトル,その他通常のゴミ,主にこのみっつに分けてゴミは捨てている。捨てているというか,ゴミ集積所に集めておくのだ。

これを収集車がそれぞれ集めにきている。

ゴミ処理場や廃棄物処理場などに行ってみると,ここからさらに分別されて処理されているようだ。ちょっと見ものな光景で,機会があったら見物してみるのもいいとおもいます。

子どもの社会科見学とは一味違った視点が得られることうけあいだ。どうして今回は,なんだかエコ的な内容になってしまったのだろうか。よくわからない。

声高らかにエコだのなんだの宣うことは,好きでないけれども,実際に即して物事を見直すことは重要です。

特にじぶんのような者には,常に見直しが必要かな。

2016年6月3日金曜日

ネットの自由と「真の1984」

数日前,年配のかたが,足早に歩いていたから,という理由で職務質問を受けバックの中まで確認され不本意,というツイートを見かけた。

もっと前に,元公安のボスだった政治家が辞めた後,同じようなパターンで職務質問を受け,激怒している内容のブログを見たことがある。

ネットの自由が無かったら,こうした情報は得られない。

さらに,ネットの自由が無くなることは簡単にあり得ると言える。

その場合,単純にネットが無かった昔に戻るのとは訳が違う。

権力側は引き続きネットを駆使するが,じぶんは規制された範囲でしかネットを使えない状況になるのだ。

ところで,つい先日,ヘイトスピーチ解消法なるものが成立して,これは理念法だと人々が確認するより早く,まったくしょうもない事から,警察が路上デモで,現行犯逮捕の準備をしだす有様になっているそうな。

こうなってくると,右派左派のやり取りもただの茶番と化してしまい,国には権力の奪い合いがあるだけということだ。

言うまでもなく,世界ではもっとそうだということになる。

オーウェルの「1984」,その最悪のシナリオはいったん忌避できたかのように思えたけれども,なんのことはない,,

もっと最悪のシナリオ,もしくは「真の1984」のシナリオに乗っかっているのかもしれないな。

人々は,じぶんより賢明だと普段考えているので,そうはならないと気楽に思うこととして,,

引き続き,無責任に週末を楽しみます。

2016年5月8日日曜日

「キン肉スグル氏を讃える」 作詞 ジェロニモ(人間・チェロキー族出身の心やさしい青年)

きみの超人パワーは

1,000万から8,000万で

ミート君や,イワオとなりて

苔のむすまで

意訳:
キン肉マン,すなわちキン肉スグル氏よ

あなたの超人パワーは,けっきょくのところ計り知れないのだ

それはつまり,元気玉の性質とも多少似ており友人の助けがあればこそそうなるのではないかもしそのことを忘れず代弁者たりうるのであればやがて苔のようなものにまで愛されることだろう

補足:ジェロニモ青年とは(Wikipediaより抜粋)
”インディアンのチェロキー族出身の人間の青年で、目が隠れる程の長い髪が特徴。1人称は「オラ」、語尾に「ズラ」とつくことが多い。これはインディアンが使用する西部訛りの英語を意識している。
他のアイドル超人を「先輩」や「さん」付けで呼び尊敬し、自分を「一番の未熟者」と称するなど謙虚な性格である。"

2016年4月16日土曜日

週末の夜更かし

週末ということで,普段からの怠惰を野放しにし,土曜の早朝までグダグダ過ごした。

猫を相手に。

何をしていたかといえば,米ドラマ・デスパレートな妻たちを今更たれ流しつつ,スマホいじりだ。

ツイッターで既につぶやいたことだけれども,萬田久子の吹き替えに,ちょくちょくイラッとさせられる。

このことについては,デスパレート萬田批判スレッドが,2010年に既にたっており,まぁおもしろい現象として考えられるようになった。

そんなことよりも,もっとずっと考えさせられるのは,アメリカのグローバリゼーションのことだ。

プラトンの洞窟の比喩に興味を持っていることを,このブログに書いた。

簡単に言うと,まぁ簡単にしか言えないんだが……

つまりアメリカは,映画やドラマという,まさに洞窟の比喩の現在版の仕掛けを使い,じぶんらの価値観を拡大させているのだということについて,あれこれ考えさせられるのだった。

とりあえず,この人たちの自己主張を含めた勢いは未だ強力で,いい面はまだしも,悪い面まで同じレベルになって一緒に考えさせられるのはどうかなと思ってしまう。

こちらの方が優れている面はいくつもある。挙げるまでもない。

ただ,弱い立場の人間がそれをどうやって示すことができるだろう。日本がアメリカより強い立場だとは,ほとんど考えにくい。

そしてこういった日常を描いたドラマですら,戦闘するのが大好きな連中で,当たり前のように銃を持っている……

厄介すぎると思いながら,パッと閃いたことなんだが,日本刀こそ必要なんじゃないか。

実際に持てるにこしたことはないが,そんなことは無理というか,とっくの昔にそれは放棄させられてしまっている。

放棄したとも,かなり苦し紛れに言えるかもしれない。

日本刀とはなんだったのだ。単に相手を斬り殺す道具ではなかったはずだ。

武器であるだけでなく,哲学,美しさ,精神性,尊厳などなど……こういう言葉を並べてみても軽いくらいで,

要するに,日本人にとって,ただの武器ではないのだ。

うまく言えないけれども,武器としての意味でない部分でこそ,現在持つ価値があるんじゃないか。

そんなことを感じた。

まぁこんなことを勝手に妄想し,戯言をつらつら並べてみたところで,普段主に持っているのはモップだったりするのだけれども……

さて無理無理,掃除人に結びつけたところで,この夜更かし文を締めくくらせていただきたい。

今日は昼過ぎか夕方まで寝ちゃうだろう。まぁいっか。

そんなことより,みなさん,よい週末を!