ダーティ掃除人ノート: 2016

2016年11月12日土曜日

熱と風邪薬による効果のレポート

ここ1週間のどが痛く,鼻も効かず,つまり風邪をひいています。

今日は土曜ですけど,清掃をしているビルへ,ごみだけ集めて捨てる当番をしに行ってきました。

早朝というか夜中に近い時間。

まぁじぶんの状態は大したこともなくて,単純労働を短時間して帰宅しました。

こんな様子だった

オフィスで数名が,各所でそのまま寝ていた。

女性まで机に突っ伏して寝てるじゃないか。

いつものことっちゃいつものこと。

一応,ごみを集める時に軽く挨拶はする。

「……失礼します」

「へんじがない。ただのしかばねのようだ。」

そんなことが頭に浮かび,帰りはずっと暗いダンジョンの曲がどこか遠くで鳴っていた。

いつも元気な時は,慌ただしい街の中を,じぶんだけは労働から解放され責任もなく,全くもって清々しい気持ちで帰るのですが,きょうはそうでもなかったです。

主にうつで電車に飛び込んでしまう人々のことを考えました。

心の健康診断は重要だよな……会社は普通の健康診断に加えて必ず行うべきだ。

だというのに,まだまだ偏見が多いからなぁ。

健康なときはまったく無邪気なもので,失ってからは元には戻れない。

嗚呼,都市型ダンジョンの冬はさむい。

松明か,レミーラ唱える彼女が必須と言えます。

”ウェルカム トウ ザ ダンジョン ベイベ〜

ユゴナ (鬱で) ダーイ……”

熱と風邪薬でおかしな事を書いてしまいました。

これは全てフィクションです。

おしまい


2016年9月13日火曜日

「常識」についての考察

「常識」という言葉に,人びとはどんなイメージをもっているだろう。

じぶんが考えるに,それは常にアップデートが必要な,とらえどころのない概念だ。

時,人,場所場合によっても変わるんではないか。

この辺り,上手に気を利かす人は珍しい気もするが,よくよく考えてみると,皆それぞれに気を利かせている。

つまり,そのような姿勢を常に保つことが常識の正体なのじゃないかなと思うのだが,まぁ面倒くさい場合もまた多いので常識が無いふりをするのも手だ。

中でも面倒くさい代表とは,遥か昔から変わることなく固定されたものの見方や考え・礼儀作法があり(なかなかそんなものはないと思うが),それが当然おれにはあって,残念ながらおまえにはない,これぞ「常識」なんだと威勢よく言う人である。

更新が少ないこのブログではあるが,清掃をしながら何を書こうか考えていることが多い。

今回は,地動説が300年も宗教上の理由から表にでず,その間いわゆる「常識」は天動説になっていたのだということを考えていたら,このような内容になってしまった。

結論として,地動説を発見した人物は「常識」が無かったといえるのではないか。

ちょっと本を読んでみると,なにかの間違いで人々の「常識」を変えるような発見をした場合に,それを公言してはばからなければ,宗教上やその他各種諸々の都合によりやられるというのが大昔からの常識なのだった。

真実を知った場合,とりあえず黙っていることだ,それが「常識」なんである。

おしまい。

2016年7月2日土曜日

夏ですねぇ

汗ばむ季節になってきた。常々ブログに何を書こうか考えている割に,更新はこんな具合になっている。

清掃中,ゴム手袋をしているのだが,今時はゴム手袋ひとつとっても,安くて使い勝手がよい。80円程度で丈夫で薄く,洗えば何度も使える。破れない限り。

なにか違うものの話みたいにも思えるが,あっちは洗って何度も使っちゃいけない。今時,そんな人いないとおもうけども。

注意書きにあるということは,コンドームのリサイクルに熱心な人が,以前はいたのだろう。

この手袋は,清掃用ではなく台所の洗い物用であり,スーパーで買っている。

優れた製品が安い一方でレジのポリ袋は有料になり,昔と比べ,確実に破れやすく粗悪なものになった気がする。

このポリ袋をゴミ集めのとき何枚見かけるだろう。膨大といっていい。ペットボトルもまた膨大に捨ててある。

現在時点では,新聞や段ボール,缶やペットボトル,その他通常のゴミ,主にこのみっつに分けてゴミは捨てている。捨てているというか,ゴミ集積所に集めておくのだ。

これを収集車がそれぞれ集めにきている。

ゴミ処理場や廃棄物処理場などに行ってみると,ここからさらに分別されて処理されているようだ。ちょっと見ものな光景で,機会があったら見物してみるのもいいとおもいます。

子どもの社会科見学とは一味違った視点が得られることうけあいだ。どうして今回は,なんだかエコ的な内容になってしまったのだろうか。よくわからない。

声高らかにエコだのなんだの宣うことは,好きでないけれども,実際に即して物事を見直すことは重要です。

特にじぶんのような者には,常に見直しが必要かな。

2016年6月3日金曜日

ネットの自由と「真の1984」

数日前,年配のかたが,足早に歩いていたから,という理由で職務質問を受けバックの中まで確認され不本意,というツイートを見かけた。

もっと前に,元公安のボスだった政治家が辞めた後,同じようなパターンで職務質問を受け,激怒している内容のブログを見たことがある。

ネットの自由が無かったら,こうした情報は得られない。

さらに,ネットの自由が無くなることは簡単にあり得ると言える。

その場合,単純にネットが無かった昔に戻るのとは訳が違う。

権力側は引き続きネットを駆使するが,じぶんは規制された範囲でしかネットを使えない状況になるのだ。

ところで,つい先日,ヘイトスピーチ解消法なるものが成立して,これは理念法だと人々が確認するより早く,まったくしょうもない事から,警察が路上デモで,現行犯逮捕の準備をしだす有様になっているそうな。

こうなってくると,右派左派のやり取りもただの茶番と化してしまい,国には権力の奪い合いがあるだけということだ。

言うまでもなく,世界ではもっとそうだということになる。

オーウェルの「1984」,その最悪のシナリオはいったん忌避できたかのように思えたけれども,なんのことはない,,

もっと最悪のシナリオ,もしくは「真の1984」のシナリオに乗っかっているのかもしれないな。

人々は,じぶんより賢明だと普段考えているので,そうはならないと気楽に思うこととして,,

引き続き,無責任に週末を楽しみます。

2016年5月8日日曜日

「キン肉スグル氏を讃える」 作詞 ジェロニモ(人間・チェロキー族出身の心やさしい青年)

きみの超人パワーは

1,000万から8,000万で

ミート君や,イワオとなりて

苔のむすまで

意訳:
キン肉マン,すなわちキン肉スグル氏よ

あなたの超人パワーは,けっきょくのところ計り知れないのだ

それはつまり,元気玉の性質とも多少似ており友人の助けがあればこそそうなるのではないかもしそのことを忘れず代弁者たりうるのであればやがて苔のようなものにまで愛されることだろう

補足:ジェロニモ青年とは(Wikipediaより抜粋)
”インディアンのチェロキー族出身の人間の青年で、目が隠れる程の長い髪が特徴。1人称は「オラ」、語尾に「ズラ」とつくことが多い。これはインディアンが使用する西部訛りの英語を意識している。
他のアイドル超人を「先輩」や「さん」付けで呼び尊敬し、自分を「一番の未熟者」と称するなど謙虚な性格である。"

2016年4月16日土曜日

週末の夜更かし

週末ということで,普段からの怠惰を野放しにし,土曜の早朝までグダグダ過ごした。

猫を相手に。

何をしていたかといえば,米ドラマ・デスパレートな妻たちを今更たれ流しつつ,スマホいじりだ。

ツイッターで既につぶやいたことだけれども,萬田久子の吹き替えに,ちょくちょくイラッとさせられる。

このことについては,デスパレート萬田批判スレッドが,2010年に既にたっており,まぁおもしろい現象として考えられるようになった。

そんなことよりも,もっとずっと考えさせられるのは,アメリカのグローバリゼーションのことだ。

プラトンの洞窟の比喩に興味を持っていることを,このブログに書いた。

簡単に言うと,まぁ簡単にしか言えないんだが……

つまりアメリカは,映画やドラマという,まさに洞窟の比喩の現在版の仕掛けを使い,じぶんらの価値観を拡大させているのだということについて,あれこれ考えさせられるのだった。

とりあえず,この人たちの自己主張を含めた勢いは未だ強力で,いい面はまだしも,悪い面まで同じレベルになって一緒に考えさせられるのはどうかなと思ってしまう。

こちらの方が優れている面はいくつもある。挙げるまでもない。

ただ,弱い立場の人間がそれをどうやって示すことができるだろう。日本がアメリカより強い立場だとは,ほとんど考えにくい。

そしてこういった日常を描いたドラマですら,戦闘するのが大好きな連中で,当たり前のように銃を持っている……

厄介すぎると思いながら,パッと閃いたことなんだが,日本刀こそ必要なんじゃないか。

実際に持てるにこしたことはないが,そんなことは無理というか,とっくの昔にそれは放棄させられてしまっている。

放棄したとも,かなり苦し紛れに言えるかもしれない。

日本刀とはなんだったのだ。単に相手を斬り殺す道具ではなかったはずだ。

武器であるだけでなく,哲学,美しさ,精神性,尊厳などなど……こういう言葉を並べてみても軽いくらいで,

要するに,日本人にとって,ただの武器ではないのだ。

うまく言えないけれども,武器としての意味でない部分でこそ,現在持つ価値があるんじゃないか。

そんなことを感じた。

まぁこんなことを勝手に妄想し,戯言をつらつら並べてみたところで,普段主に持っているのはモップだったりするのだけれども……

さて無理無理,掃除人に結びつけたところで,この夜更かし文を締めくくらせていただきたい。

今日は昼過ぎか夕方まで寝ちゃうだろう。まぁいっか。

そんなことより,みなさん,よい週末を!


2016年4月13日水曜日

頭痛とねこ

昨日は一日中頭痛がした。

珍しいことで,全く何も手につかなかった。

だが,ご飯はしっかり食べた。

大したことはないだろう。

頭痛を紛らわすため,近ごろ気に入ってるハッカ飴をずっとなめてもいた。

ハッカ飴の包み紙というかセロファンを,ねこがごみ箱ひっくり返して,おもちゃにした。

何度も繰り返しやられた。

大変可愛がってるねこなんだが,遊びが足りないと,こういう抗議行動みたいなことをするのだ。

たまに頭痛に悩まされるだけで,普段健康でいることがとてもありがたいことだと感じられる。

2016年4月8日金曜日

読書,雑記

ここ暫く,いろいろ楽しいことをしていた。

まぁその気にさえなれば,現在の日本では,色々楽しいことができるということだ。

といっても,まずその気になれない場合が多い気もする。

何が原因か,あとちょっとでつかめそうなんだが。

面白い本を読んでいる。

リップマンの世論という本だ。

以前から何度か借りて読んではいたが,ちょっと読む度,様々なことに考えが巡ってしまい,貸し出し期間終了,返却で途切れたままになっていたのだった。

冒頭で,プラトンの洞窟の喩えが引用されている。

じぶんはこの喩えにとても興味があるのだ。

そしてこの本は,その内容について……洞窟の喩えが何を意味しているのか,現代版で書いてくれているのじゃないかとおもう。

以前どこかで,「現代とは世界同時性のことだ」と聴いた。

リップマン「世論」の時代から,さらに世界同時性は加速している。

ほぼリアルタイムといっていいくらいだ。

だからといって,じぶんに何ができるのだ?

掃除なら,まぁできる。

それと今回ばかりは,この本を読み終えることができるだろう,たぶん。




2016年3月30日水曜日

レモンについて

本日の多摩川ジョギングは,矢鱈と風が強かった。

むきになって,一方向に吹き続けているような風だった。

すれ違う自転車の鈴の音も,引っ張られて変な音程に変化した。

ここ数日,無風の中で走っていたようにおもうので,えらくストレスを感じた。

そのストレスとむきになって張り合って走るのが,なにやら馬鹿らしくなり,最後は歩いた。

桜は半開で,そうか,この風で散ってしまう桜もあるな,というようなことを考えた。

何故だか,梶井基次郎のレモンのことを考えた。

少年らが吠えながら追いかけあっていた。

まぁ,春ということだなと気づき,レモンのことを考えた自分を,なにやら場違いに思った。

もっと様々なことを考えたり,思ったりしたけれども,夜ごはんを食べてるうちに忘れた。

追伸 漢字で書けないので,あえて「檸檬」をレモンとしたけど,漢字でないと雰囲気でませんな……



2016年3月24日木曜日

銭湯

よく近所の銭湯に行く。きょうも行ってきた。

近所の銭湯といってもけっこうな数ある。

いちばん気に入っていた,50度近くある銭湯は,2〜3年前店じまいになった。

おそらく温度計が壊れていたので,常に48度とかそんな辺りを差していたのだとおもうけれど,異様に熱かった。

常連客ばかりで,どうやら時間帯によってぬるくしてもいいようだった。

早めの時間帯に,蛇口の水をひねったら怒られたことがある。

裸の男に。

つまり,裸の男が裸の男に叱られたということだ。

その時,もっと遅い時間帯はぬるくしてもいいのだと教えてもらったのだった。

厳密にきまっている訳でも無さそうだし,見極めが面倒なので,その後は熱い湯に慣れた。

慣れれば慣れたで,おじいさんがざばざば薄める。

湯と逆に,水風呂はやたら冷たい。涼む庭は外から見える。

くたびれたのを隠しもしない老夫婦がやっている。

無くなるべくして無くなった銭湯ではあるが,じぶんは妙に気に入っていた。


2016年3月23日水曜日

新しいモップの先

先週から新しいモップの先を使っている。

これまで,何となく1番ボロいのを使っていた。

新しいやつはモップの毛もフサフサだ。

効率もいいし,余計きれいになるようだ。

なんで今まで新しいのを使わなかったのか不思議になってくる。

雑巾なんかもそうだが,ぼろければぼろいほど愛着がわくことがある。

そもそも雑巾自体,ぼろ切れの再利用なので,どれだけぼろいんだよって話だ。

ずいぶん昔,飲食店で働いていた時,そこのマスターが食器洗いのスポンジだか何かを捨てる際,「これはもうお疲れ様だな〜……」と言って捨てていたのを覚えている。

スポンジひとつにお疲れ様とは,ずいぶん物を大切にするなと思った。

そのマスターはスポンジに対しては情け深さを示したけれども,人全般にそうだったかどうかは知らない。

ただ,新しいモップを使いながら古いモップのことを考えてたら,そんな昔話を思い出したのだった。

2016年3月22日火曜日

辛いうどんと格闘

春分の日があり,3連休だった。

相変わらず何処かへ出かけるということもなく,出かけたと言えばうどん屋さんにいったくらいだった。


今回初めて,辛味うどん(大)というのを頼んでみたら,スープに唐辛子が1本入っていた。かしわ天をトッピング。

うどんがもちもちで美味しい店なのだが,辛味スープが余計美味しかった。

ラーメンの領域まで奪いかねない刺激で,大3杯いけそうな勢いだった。

ここ数日,huluのサバイバル番組を観ている。

サハラ砂漠だったり,アラスカだったり,メコン川だとかを,ムカデや幼虫やヘビやトカゲを食べて突破する。

とても面白い番組で,サバイバルにも興味津々だが,観るだけで勘弁していただきたい。

「毒ヘビがいました」

格闘。

「このヘビは食べられます……」

生食。

いや〜,そんな状況恐ろしいな。

例えば,高尾山へ行って帰りは温泉に浸かって,電車を楽しみつつ帰る,そんな程度で充分だ。

2016年3月18日金曜日

モップという魔法の杖

今朝も魔法の杖で,オフィスの床をきれいにしてきた。

魔法の杖というか,ただのモップだけれども。

そんな気分だったということだ。

きょうは掃除だけで用事は終わらず,引き続きでかけた。あれやこれや,帰宅後,多摩川ジョギングして銭湯へ行き,ようやく20時だ。

Huluで,じゃりん子チエを観ている。

「うちは世界一不幸な子や……」

なんて可愛い子,チエちゃん。それに比べて父親のテツのクズっぷりはどうしようもない。

いや待てよ,どちらかと言えばじぶんはテツの側じゃないか。   

どちらか比較する必要すらないかもしれぬ。

気づかないでいるほうが幸せなことも多い。

ところで,早起きは三文の得というが,三文ってのはいくらぐらいなんだ。

お金になろうがなるまいが,得しているのか損しているのか,おれにはよくわからない。

兎も角,この早朝掃除人をやるようになってから,1日がやけに長い。

さらに言えば,早起きしてるおかげで,こうしてじゃりん子チエを観れるというわけだ。

確かに得しているよ。

昔の人の言うことは意味深い,それはわざわざ科学で検証するまでもないこと。

まぁ検証したっていいわけだけれども。

2016年3月17日木曜日

睡眠障害について

1年ほど前から,非常に楽な掃除人の仕事をしている。

どれくらい楽かというと,昼寝ができるくらいだ。

その代わり,朝はやたらと早い。

というわけで,そろそろ眠くなってきた。

外から子どもたちが遊びまわる声が聞こえる。

まだ夕方なので。

自分は睡眠障害ではないかと精神科医に相談したことがある。

医者の言ったことを要約すると,気のせいだと言われた。

気のせいとはどういうことだ。

余計眠れなくなりそうだ。

とりあえず治療費を無駄にしたということだ。

考え過ぎだとも言われたが,頭の中はいつも空っぽのような感じしかしない。

頭痛でもなければ。

精神科医に相談するより,こうしてノートに書いていた方がよほど治療になるかもしれないな。

おやすみなさい,また明日。