ダーティ掃除人ノート: 4月 2016

2016年4月16日土曜日

週末の夜更かし

週末ということで,普段からの怠惰を野放しにし,土曜の早朝までグダグダ過ごした。

猫を相手に。

何をしていたかといえば,米ドラマ・デスパレートな妻たちを今更たれ流しつつ,スマホいじりだ。

ツイッターで既につぶやいたことだけれども,萬田久子の吹き替えに,ちょくちょくイラッとさせられる。

このことについては,デスパレート萬田批判スレッドが,2010年に既にたっており,まぁおもしろい現象として考えられるようになった。

そんなことよりも,もっとずっと考えさせられるのは,アメリカのグローバリゼーションのことだ。

プラトンの洞窟の比喩に興味を持っていることを,このブログに書いた。

簡単に言うと,まぁ簡単にしか言えないんだが……

つまりアメリカは,映画やドラマという,まさに洞窟の比喩の現在版の仕掛けを使い,じぶんらの価値観を拡大させているのだということについて,あれこれ考えさせられるのだった。

とりあえず,この人たちの自己主張を含めた勢いは未だ強力で,いい面はまだしも,悪い面まで同じレベルになって一緒に考えさせられるのはどうかなと思ってしまう。

こちらの方が優れている面はいくつもある。挙げるまでもない。

ただ,弱い立場の人間がそれをどうやって示すことができるだろう。日本がアメリカより強い立場だとは,ほとんど考えにくい。

そしてこういった日常を描いたドラマですら,戦闘するのが大好きな連中で,当たり前のように銃を持っている……

厄介すぎると思いながら,パッと閃いたことなんだが,日本刀こそ必要なんじゃないか。

実際に持てるにこしたことはないが,そんなことは無理というか,とっくの昔にそれは放棄させられてしまっている。

放棄したとも,かなり苦し紛れに言えるかもしれない。

日本刀とはなんだったのだ。単に相手を斬り殺す道具ではなかったはずだ。

武器であるだけでなく,哲学,美しさ,精神性,尊厳などなど……こういう言葉を並べてみても軽いくらいで,

要するに,日本人にとって,ただの武器ではないのだ。

うまく言えないけれども,武器としての意味でない部分でこそ,現在持つ価値があるんじゃないか。

そんなことを感じた。

まぁこんなことを勝手に妄想し,戯言をつらつら並べてみたところで,普段主に持っているのはモップだったりするのだけれども……

さて無理無理,掃除人に結びつけたところで,この夜更かし文を締めくくらせていただきたい。

今日は昼過ぎか夕方まで寝ちゃうだろう。まぁいっか。

そんなことより,みなさん,よい週末を!


2016年4月13日水曜日

頭痛とねこ

昨日は一日中頭痛がした。

珍しいことで,全く何も手につかなかった。

だが,ご飯はしっかり食べた。

大したことはないだろう。

頭痛を紛らわすため,近ごろ気に入ってるハッカ飴をずっとなめてもいた。

ハッカ飴の包み紙というかセロファンを,ねこがごみ箱ひっくり返して,おもちゃにした。

何度も繰り返しやられた。

大変可愛がってるねこなんだが,遊びが足りないと,こういう抗議行動みたいなことをするのだ。

たまに頭痛に悩まされるだけで,普段健康でいることがとてもありがたいことだと感じられる。

2016年4月8日金曜日

読書,雑記

ここ暫く,いろいろ楽しいことをしていた。

まぁその気にさえなれば,現在の日本では,色々楽しいことができるということだ。

といっても,まずその気になれない場合が多い気もする。

何が原因か,あとちょっとでつかめそうなんだが。

面白い本を読んでいる。

リップマンの世論という本だ。

以前から何度か借りて読んではいたが,ちょっと読む度,様々なことに考えが巡ってしまい,貸し出し期間終了,返却で途切れたままになっていたのだった。

冒頭で,プラトンの洞窟の喩えが引用されている。

じぶんはこの喩えにとても興味があるのだ。

そしてこの本は,その内容について……洞窟の喩えが何を意味しているのか,現代版で書いてくれているのじゃないかとおもう。

以前どこかで,「現代とは世界同時性のことだ」と聴いた。

リップマン「世論」の時代から,さらに世界同時性は加速している。

ほぼリアルタイムといっていいくらいだ。

だからといって,じぶんに何ができるのだ?

掃除なら,まぁできる。

それと今回ばかりは,この本を読み終えることができるだろう,たぶん。