猫を相手に。
何をしていたかといえば,米ドラマ・デスパレートな妻たちを今更たれ流しつつ,スマホいじりだ。
ツイッターで既につぶやいたことだけれども,萬田久子の吹き替えに,ちょくちょくイラッとさせられる。
このことについては,デスパレート萬田批判スレッドが,2010年に既にたっており,まぁおもしろい現象として考えられるようになった。
そんなことよりも,もっとずっと考えさせられるのは,アメリカのグローバリゼーションのことだ。
プラトンの洞窟の比喩に興味を持っていることを,このブログに書いた。
簡単に言うと,まぁ簡単にしか言えないんだが……
つまりアメリカは,映画やドラマという,まさに洞窟の比喩の現在版の仕掛けを使い,じぶんらの価値観を拡大させているのだということについて,あれこれ考えさせられるのだった。
とりあえず,この人たちの自己主張を含めた勢いは未だ強力で,いい面はまだしも,悪い面まで同じレベルになって一緒に考えさせられるのはどうかなと思ってしまう。
こちらの方が優れている面はいくつもある。挙げるまでもない。
ただ,弱い立場の人間がそれをどうやって示すことができるだろう。日本がアメリカより強い立場だとは,ほとんど考えにくい。
そしてこういった日常を描いたドラマですら,戦闘するのが大好きな連中で,当たり前のように銃を持っている……
厄介すぎると思いながら,パッと閃いたことなんだが,日本刀こそ必要なんじゃないか。
実際に持てるにこしたことはないが,そんなことは無理というか,とっくの昔にそれは放棄させられてしまっている。
放棄したとも,かなり苦し紛れに言えるかもしれない。
日本刀とはなんだったのだ。単に相手を斬り殺す道具ではなかったはずだ。
武器であるだけでなく,哲学,美しさ,精神性,尊厳などなど……こういう言葉を並べてみても軽いくらいで,
要するに,日本人にとって,ただの武器ではないのだ。
うまく言えないけれども,武器としての意味でない部分でこそ,現在持つ価値があるんじゃないか。
そんなことを感じた。
まぁこんなことを勝手に妄想し,戯言をつらつら並べてみたところで,普段主に持っているのはモップだったりするのだけれども……
さて無理無理,掃除人に結びつけたところで,この夜更かし文を締めくくらせていただきたい。
今日は昼過ぎか夕方まで寝ちゃうだろう。まぁいっか。
そんなことより,みなさん,よい週末を!